全線開通した常磐自動車道を走ってみた
福島第一原発事故の影響で工事が延び延びになっっていた常磐自動車道が先月の3月1日に全線開通した。起点は埼玉県の三郷ICで終点は宮城県の亘理ICとなり全長300.4㎞。そのほぼ全線にあたる流山ICと山元IC間を3月の下旬に走ってきた。
亘理への帰省が目的だが、この高速道は原発事故のため帰還困難地域となっている場所を貫通しているので、その地域の様子も興味があった。
福島県浜通りを抜けて帰省するのは2011年の1月の正月以来、4年3ヶ月ぶりだ。車での往復時も含めてすべて晴天、気温も高く天候に恵まれた帰省となった。
2015/3/27撮影
「仙台↑」という表示が全線が開通した証拠だ。左の道路脇の看板には「富岡町以北二輪通行不可」の文字が。やはり大変なことが起こっているのだと実感。
2015/3/27撮影
サッカーの町(であった)広野町の看板。「Jビレッジ」(日本サッカー界初のナショナルトレーニングセンター)があったからだ。「震災でJビレッジは原発事故の対応の前線拠点、資材置き場となって復興に貢献。サッカー好きの私はかつて訪れたことがあるが当時の面影はないとのこと、しかし、再利用は決定しており復活が望まれる。
2015/3/27撮影
2011年の1月は常磐富岡のICで降り、県道35号、34号を使って亘理に向かったのだが。その35号、34号線は今は使うのは無理。そして、この辺から周囲の風景が気になってくる。一帯が居住制限区域となっているからだ。
下の写真は南相馬鹿島SA内に設置された看板でそのことが示されている。
復路寄った南相馬鹿島SAの看板 2015/3/30撮影
そして、道路の周辺は次のような風景が目立ち始めた。汚染残土が詰め込まれた黒いポリ袋が無造作に積み上げられている、思っていたよりもたくさんの民家が目に入るが人影はほとんどなし。道路にも走る車はない。時々作業着を着た人を見かけるのみ。
上2枚 2015/3/27撮影
気温が上昇し車の中でも暑いと感じる晴天の中、民家の南側に洗濯物が干されていないのでここには人が住んでいないのだとやっと感じるほど、黒いポリ袋の山以外はごく普通の風景。それだけに五感で感じることのできない放射線汚染の恐ろしさ、不気味さを逆に感じる。
この辺が帰還困難地域のまっただ中。 2015/3/27撮影
2015/3/27撮影
手入れされていない夏草が伸び放題になったまま立ち枯れ、それがすべてベージュ色になって春の陽光の中に輝く中、その農村風景と山々が何事もなかったように過ぎていく。人が住めないような放射線など誰も感じることはできない。
しかし現実は
南相馬鹿島SAの看板 2015/3/30撮影
南相馬鹿島SA内にある放射線量モニター 2015/3/30撮影
放射線量モニターと同じく5.6μ/hの掲示が。浪江付近 2015/3/30 15:15撮影
亘理への帰省が目的だが、この高速道は原発事故のため帰還困難地域となっている場所を貫通しているので、その地域の様子も興味があった。
福島県浜通りを抜けて帰省するのは2011年の1月の正月以来、4年3ヶ月ぶりだ。車での往復時も含めてすべて晴天、気温も高く天候に恵まれた帰省となった。
2015/3/27撮影
「仙台↑」という表示が全線が開通した証拠だ。左の道路脇の看板には「富岡町以北二輪通行不可」の文字が。やはり大変なことが起こっているのだと実感。
2015/3/27撮影
サッカーの町(であった)広野町の看板。「Jビレッジ」(日本サッカー界初のナショナルトレーニングセンター)があったからだ。「震災でJビレッジは原発事故の対応の前線拠点、資材置き場となって復興に貢献。サッカー好きの私はかつて訪れたことがあるが当時の面影はないとのこと、しかし、再利用は決定しており復活が望まれる。
2015/3/27撮影
2011年の1月は常磐富岡のICで降り、県道35号、34号を使って亘理に向かったのだが。その35号、34号線は今は使うのは無理。そして、この辺から周囲の風景が気になってくる。一帯が居住制限区域となっているからだ。
下の写真は南相馬鹿島SA内に設置された看板でそのことが示されている。
復路寄った南相馬鹿島SAの看板 2015/3/30撮影
そして、道路の周辺は次のような風景が目立ち始めた。汚染残土が詰め込まれた黒いポリ袋が無造作に積み上げられている、思っていたよりもたくさんの民家が目に入るが人影はほとんどなし。道路にも走る車はない。時々作業着を着た人を見かけるのみ。
上2枚 2015/3/27撮影
気温が上昇し車の中でも暑いと感じる晴天の中、民家の南側に洗濯物が干されていないのでここには人が住んでいないのだとやっと感じるほど、黒いポリ袋の山以外はごく普通の風景。それだけに五感で感じることのできない放射線汚染の恐ろしさ、不気味さを逆に感じる。
この辺が帰還困難地域のまっただ中。 2015/3/27撮影
2015/3/27撮影
手入れされていない夏草が伸び放題になったまま立ち枯れ、それがすべてベージュ色になって春の陽光の中に輝く中、その農村風景と山々が何事もなかったように過ぎていく。人が住めないような放射線など誰も感じることはできない。
しかし現実は
南相馬鹿島SAの看板 2015/3/30撮影
南相馬鹿島SA内にある放射線量モニター 2015/3/30撮影
放射線量モニターと同じく5.6μ/hの掲示が。浪江付近 2015/3/30 15:15撮影
by 33orion33 | 2015-04-05 12:06