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常磐線は今-4(復旧工事始まる)

常磐自動車道は先月の12月に南相馬と浪江が開通し、仙台と浪江が高速道路で繋がった。しかし、JR常磐線は東京の上野駅から宮城県の仙台駅(きちんと定義すれば上野駅~岩沼駅)を結ぶ重要な大動脈だったが、津波の被害のため現在は仙台~浜吉田間でしか運転されていない。常磐線に状況についてはこれまでも何度か触れてきたが今回はその最新レポート。

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         JR東日本常磐線 浜吉田駅                     2015.1.4撮影


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       浜吉田駅 時刻表                             2015.1.4撮影
                           
浜吉田駅の時刻表  仙台方面が下りになっているのは、常磐線の本来の上りは東京の上野駅だから。
                                       
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      浜吉田駅プラットフォーム南                       2015.1.4撮影

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       浜吉田駅の南に位置する旧踏切より                  2015.1.4撮影



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       磯浜裏の旧常磐線の線路跡 下の図の①の場所          2015.1.4撮影
これらのレールも取り払われ、風景も変貌していくのだろう。
               
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       上と同じ場所、昨年夏の様子 下の図の①の場所          2014.8.8撮影
常磐線は時々海が見えてくるのが気持ちがよかった。ここは坂元駅から新地駅に向かう場所だが、ここを抜けると左手に青い海が見えてきたものだ。


  下は既設線(運休→廃止)と復旧線の図。
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      JR東日本資料より作成
        
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       このブログの「常磐線は今(2012.1.3)」 で使った写真   上の図②の場所            

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       復旧工事が始まった新地駅付近 上の図②の場所      2015.1.4撮影

津波の被害を少なくするため、復旧線は従来線より内陸部に位置し、高さ約10mの橋脚の上を通過するようになっている。上の2つの写真はほぼ同じだが背景の山の様子から海岸部から離れていることがわかる。

# by 33orion33 | 2015-01-11 09:24  

山元町立中浜小学校

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                                2014年10月10日  日本経済新聞より
上記の新聞記事は今年の10月に所用で亘理に帰省したときのもの。中浜小学校についてはそのうち取り上げようと思っていたが、いろいろ忙しく年末になってしまった。

今年の8月に帰省した際、車で磯浜に行った帰りに中浜小学校の脇を通過しようとしたら、校舎の後ろに大型バスが止まって人がぞろぞろ降りてくるところだった。なんだろうなとそちらに車を回したら、大学生達が中心になった関西からの来たボランティアグループの一行だった。地元の役場の方がガイドをしており、学生達を案内していたので、私もその一向に加えてもらい周囲や建物の中の今の様子、そして津波の時の状況を、くわしくうかがうことができた。

 山元町立中浜小学校は下の地図(yahoo衛星写真 津波前)でもわかるように、県道38号相馬亘理線とJR常磐線が並走しているそのちょうど脇に位置している。海岸線から約400mで、近くには民家、海岸線には堤防、防風林もある。福島県境に近いこの辺は海岸平野に西側の丘陵部が迫ってきて、平野がだんだん狭くなってきているところ。左の方に緑の丘陵が見えているのはそのため。
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                                        yahoooマップ(津波前)より

このようなところに右側(東側)の太平洋から巨大津波が押し寄せてきた。

津波後の写真が下↓
コンクリートでできた小学校の建物以外すべて流されてしまっていることがわかる。
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    県道38号から見る中浜小学校
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                                           2014.8.8撮影

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     時間がとまったような教室                      2014.8.8撮影

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                          津波の高度を示す矢印  2014.8.8撮影

アップすると↓
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                                           2014.8.8撮影

津波襲来当時、中浜小学校には全校生徒の59名、先生14名、避難してきた保護者や地域の方を含め90名がいたとのこと。近くの避難所までは徒歩約20分、津波到達まで間に合わないと考えた校長が避難先に思い付いたのは、普段は使われていない屋根裏の倉庫だった。↓

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                                            2014.8.8撮影

    海までこんなに近い
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                                            2014.8.8撮影

その屋根裏の倉庫の階から東側を望む。防風林も何もなくなった先に見えるのは太平洋。これだけでも海に近い場所にあるとういことがわかる。

あの太平洋の海全体が盛り上がり、こちらに押し寄せてきた。ガイドの方によると、、3回目あたりの津波の高さがものすごく、もうこれはダメかなと思ったら、西側の山にぶつかって反ってきた波と干渉し合い、そのため勢いが削がれ、なんとか助かったのではとのお話。校舎の外壁に残された津波の到達高度を見ればわかるとおり、間一髪の出来事だったようだ。

この辺は先に書いたとおり丘陵部が海岸部に迫った地域であったためこのようなことが起きたと推測できる。つまり、校舎のあるところは地形的に戻り波が寄せる波と干渉し合う場所であったと、でもこれもタイミングの問題であって本当に奇跡的だったとしか思えない。

ただ、気になったことがあった。それはこの小学校の校舎の前ににこんな石碑が横たわっていたことだ。この石碑は今回の津波で倒され倒れたままだが。過去の津波の被害状況が刻まれていた。
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                                            2014.8.8撮影

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                                            2014.8.8撮影
この石碑は当時の朝日新聞社に寄付された見舞金が罹災した町村へ分配され、その残金から作られたようだ。  

2つの津波の被害状況が刻まれている。ひとつは明治9年6月26日午後9時半とあるのでこれは三陸津波のことだ。もうひとつ刻まれているのは昭和8年3月3日午前4時とあるのでこれは昭和三陸津波のことだ。波の高さも刻まれており、明治三陸津波時は6尺(約182㎝)昭和三陸津波時は7尺2寸(約2m18㎝)と読める。つまり、かつてこの地にこの石碑に刻まれている規模の津波が押し寄せていたということだ。

気になったということは、こういうことがあったという事実を私はこの石碑を見るまで全く知らなかったこと。昭和三陸津波のことは祖母から聞いた記憶があるが、場所は荒浜の阿武隈川の河口での出来事であって、具体的な津波の高さまでは聞かされていなかった。私の父も亘理町の歴史には相当詳しかった方だが、父からも聞かされた憶えはない。

そして、記憶にあるのは津波は三陸海岸のようなリアス式の海岸の地形なので波の高さが大きくなる、でも亘理のような平坦なまっすぐな海岸では、きても波の高さが大きくならないので大丈夫。そのような話が一般的だった。

この石碑は学校よりもっと海岸よりに建ててあったそうだ。せっかく先人がこのようなものを残して警鐘を鳴らしてくれていたのに、そのようなことを皆が忘れ、そしてその近くに小学校まで建ててしまっていた。

下の地形図は昭和44年発行のもの、中浜小学校は昭和39年創立なので、創立当時の様子がわかる。南の磯は磯浜だが、まだ港は造られておらず砂浜のままで、海岸線も昔のままであることがわかる。周囲の住居もまばらで創立当時は海を含め、広々とした風景が広がっていたろう。
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5                           万分の1地形図「角田」昭和44年発行


2006年NHK放送の「失敗は伝わらない」(検索すると出てきます)を思い出した。失敗はその直後は緊張状態が続くが、だんだん関心が無くなり、30年も過ぎてしまうと、ほぼ消えてしまうと・・・。

昭和8年に昭和三陸津波が起こり、この海岸に波高7尺2寸(約2m18㎝)の津波が押し寄せた。その教訓として、石碑が建てられた。それから約30年過ぎた昭和39年にその海岸線沿いに小学校が建てられた。この小学校で犠牲者が出なくて本当によかったと思う。

# by 33orion33 | 2014-12-26 12:17  

常磐自動車道-2

このところ西高東低の冬型の気圧配置が続き、北日本を中心に大荒れの天気の報道が連日流れている。北海道や東北、北陸地方は例年になく風雪の被害がでている。

こういうニュースを聞くと、このような気圧配置でも雪の影響をあまり受けなかった、常磐自動車道とその沿線の福島県県道35号線(いわき~浪江線)・34号線(相馬~浪江線)を思い出してしまう。震災、原発事故の前はこれら路線を使うと、冬季でも安心して帰省できたし、東北縦貫自動車道と2者選択が可能であったからだ。

栃木県の高原地帯、福島県の中通りから国見峠を越え宮城県の白石をを通る東北縦貫自動車道は冬型の気圧配置が強まると、大陸からの季節風による風雪の影響をどうしても受けてしまう。

そんな中、 読売新聞の12月11日の朝刊に「常磐道開通で心も近く」という1ページをまるまる割いた記事が載っていた。
年末の12月6日に南相馬ICと浪江ICが開通し、来年の3月にはそれが富岡ICまで延伸され、常磐道が全線開通する、そのような記事だ。↓

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                             上記2点とも読売新聞2014年12月11日より
でも・・・・と思ってしまう。
常磐富岡IC-南相馬IC間は当初、2011年年に開通する予定だった。それはこのブログの2014年3月9日の「常磐自動車道」に書いた。まさに震災の起きた年に開通の予定だった。

この記事では復興の加速化のため整備が急ピッチで進んでいるような観点で書いているが、震災の影響で遅れてしまっただけで、また、一番の妨げであった福島第一原子力発電の影響等も触れていない。そして原発事故のこれからのことも。

どうも想像できないのは、現在人が全く住んでいない(住めない)ところを通ること。浪江インターチェンジ(浪江町)は帰還困難地域にありその付近は震災直後のままだ。


「常磐自動車道(浪江IC~南相馬IC間)及び国道114号(浪江IC~国道6号間)の線量調査結果」  平成26年10月3日 原子力被災者生活支援チーム
http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/pdf/1205_001a.pdf
もインターネットから検索できる。
ここを通る人は上記のようなことを参考にして通りなさいということだろうか。

# by 33orion33 | 2014-12-20 10:58  

「わたり温泉 鳥の海」に行ってきた

10月11日からの3連休、所用があり亘理に帰省した。
 東日本大震災で被災してからずっと、休館していた町営温泉施設「わたり温泉鳥の海」が10月4日から本格再開と聞いていたので、さっそく行ってみた。

ニューリアルオープンした「わたり温泉 鳥の海」
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                                       2014.10.11撮影
       被災後は、周辺で働く作業員の宿泊所として使用されていた。

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                                       2014.1011撮影
       日帰り入浴料大人500円。

次の2枚、「わたり温泉 鳥の海」の位置確認 矢印
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                        震災前の 温泉施設周辺    yahoo地図より                

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                        震災後の温泉施設周辺  Google地図より 

次6枚、震災前と震災後、同じ角度(5F露天風呂より)から同じ風景を比較する。
特に震災前の3枚の写真はこのブログの第1回目の「すべて思い出の風景に」使った3枚なので、思い出深い。震災直後は、この露天風呂でまた湯に浸かることができるなど想像もできなかった。

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                    露天風呂から 南方を望む 震災前 2009.8.24
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                同じ露天風呂から南方を望む  震災後 2014.10.11
夏と秋の風景の違いがあるが、自然はそう簡単には元に戻らない。

浴場は5Fにあり、エレベーターで上がる。露天風呂は南側に開けている。男女の浴場の位置が東(太平洋側)、西(蔵王連邦側)と、日によって交代となる。

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                 露天風呂から 太平洋を望む  震災前 2009.8.24


 
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                同じ露天風呂から太平洋を望む 震災後 2014.10.11
   

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      露天風呂から 鳥の海、荒浜の町並みを望む  震災前 2009.8.24
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     同じ露天風呂から 鳥の海、荒浜の町並みを望む 震災後  2014.10.11
     合掌。

この日は、暖かく晴天。そして、露天風呂から西を眺めると、このような光景が。
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                         2014.10.11 鳥の海、夕陽、蔵王連邦

         鳥の海に夕陽の帯が映り、蔵王連峰もくっきり見える。


今日も台風19号九州上陸のニュースが朝から流れて、最近の御嶽山噴火のこともあり、つくづく日本は災害列島であることを痛感する。地震だって津波だってある。しかし、考えてみればそれらはすべて地球の大自然の普通の出来事、上の写真の感動するような夕日だってそうだ。

それら大自然の普通の出来事に対する、人間の感謝と畏怖、そしてそれらをコントロールすることとの微妙なバランス、そのことが本当に大切なのだろう。

# by 33orion33 | 2014-10-13 12:42  

2014年 夏 荒浜

荒浜は小さい頃から釣りに行ったり海水浴に通ったところなので、荒浜といえば夏の思い出の方が多い。震災後、かつての風景は失われてしまったが、だんだん海に近づいていくと、車の中でも潮の香りがしてくる。昨年の夏は忙しく帰省できなかったので2年ぶりの夏の荒浜だ。


まずは荒浜中学校のは今。
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                                           グーグル地図より
荒浜中学校、荒浜港の岸壁、蛭塚の場所を矢印で示す。

荒浜中学校:荒浜地区には小学校と中学校がそれぞれひとつずつあり、津波の際には重要な避難所となった。中学校は海岸に至る道路に面しており、通るたびにいつも眺めることができた。

下の3枚は津波の約1ヶ月後の4月10日に撮影したもの。建物は残っているものの、1階のガラスはほとんど割れており、ブルーシートで覆ってあった。グラウンドは漂流物が山と積まれており、流されてきた船もそのままゴミの山の上に乗っかっていた。中学校は海岸線から約1.2㎞の距離に位置している。

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                                             2011.4.10撮影
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                                               2011.4.10撮影
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                グラウンドのフェンにも漂流物がこびりついたまま 2011.4.10撮影

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                       約一年後の春先 まだまだ寒々しい  2012.3.18撮影
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                       ちょっと緑で覆われてきたグラウンド  2012.8.7撮影
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   フェンスが取り払われ、グラウンド周辺 中学校東方は広大な土地が  2012.8.7撮影

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        新校舎の建設が始まっていた。一階は津波対策構造になっている 2013.11.9撮影

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           中学の野球部が練習をしていた。8月25日に学校再開  2014.8.7撮影 

次は荒浜港の海側の岸壁。ここも地震と津波に破壊され、長い間崩れた状態であった。
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                       子どもたちとハゼ釣りをした岸壁     2011.4.9撮影

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                              なかなか修復が進まない。 2012.7.29撮影 

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                           修復なった岸壁          2014.8.7撮影

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                 蛭塚にかかる橋に車が引っかかっている    2011.4.10撮影

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    新しい橋が建設されたが、蛭塚は木々が失われ、土だけの更地に  2014.8.7撮影



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                当時はこんな風景がめずらしくなかった      2011.4.10撮影
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                 もう、何事もなかったような風景          2014.8.7撮影

これらの写真はまだ、ほんの一部。地域そのものは津波の残骸が取り払われ、きれいになっているが、人々の姿は少なく。静かな風景が広がっているだけ。
 

# by 33orion33 | 2014-09-13 23:01