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震災から1年半、荒浜の現状

震災から1年半、荒浜の現状。

亘理町から車に乗って荒浜に向かう。生協を過ぎ、高速道路の下を抜けるあたりまでは震災前と変わらない風景に戻っている。

震災前、この時期は荒浜の海岸へ行楽で行き交う車で賑わっていた。サーフィンボードを乗っけた車、浮き輪を持った子供たちを乗せているワゴン車、夕方は真っ黒に日焼けした人たちを乗せた車で亘理に向かう方面は渋滞したものだ。

昨年から目立つ車はダンプカーだ。日本中のダンプカーが集まってきたのかと思えるほど様々な地区のナンバープレートを付けている。沖縄のナンバープレートを付けたダンプカーも見かけた。


風景が荒涼としてくるのは、荒浜中学校が見えてくるあたりだ。

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                          2011.4.10 撮影

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                          2012.8.11 撮影
道路脇もすっかり片付けられているが、車の通りはほとんどない。中学校は無人の校舎となっている。右側の家々も土台を残すのみ。




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                         2011.4.10 撮影

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                         2012.8.11 撮影
鳥の海漁港の北側にあった「かもめマート」。
この辺は本当にカモメが飛び交い、場所にふさわしいネーミングのお店であった。


荒浜海岸。
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                           2011.4.10 撮影

                      
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                           2012.8.11 撮影
少しだけ残っていた松の木々もすべて取り払われ、海岸線に緑は全くなし。
かつての砂浜に簡易?の堤防が造られていた。荒涼とした風景の中に、さらに荒涼とした堤防が造られていた。この砂袋と小石を寄せ集めたような堤防は山元町の磯浜海岸でも造られていた。この砂の堤防で一体何を防ぐのだろう?


鳥の海の湾内の眺め。
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2011.4.10 撮影
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2012.8.11 撮影
鳥の海の中央に位置する蛭塚にかかるマリンレインボーブリッジ。
この小さな島の東側は遠浅で潮干狩りで賑わうところであった。震災時、横から直接津波を受け、車、漁具、様々なものがひかっかっていた。




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2011.4.10 撮影
鳥の海の北側の地区。さえぎるものがなく大津波がまともに押し寄せた。
津波1ヶ月後も漁船が道路上にごろごろ。
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2012.8.11 撮影
そして、現状、残るは海岸の堤防と道路のみ。松林も無くなってしまった。



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2011.4.10 撮影

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2012.8.11 撮影
上の写真から少し西の地区。ここも残るは道路と夏草のみ。



次、ここは戻って、荒浜中学校から東側の阿武隈川の堤防方面を眺めたもの。
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  2011.4.9 撮影

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   2012.8.11 撮影
この辺はかつて、道路の脇に人家が密集してた。私はこの辺を車でしか通ったことがなかったので、実は低い地域で、背後に田んぼ等が広がっていたとわかったのは震災後であった。

その地域の現状、一体いつの時代に戻ってしまったのか。

by 33orion33 | 2012-08-17 16:20  

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